過去そして未来へ
1603年
丸の内のオフィス街はかつて、江戸城を護り幕府の繁栄を支えた諸国の大名屋敷が立ち並ぶ街並みでした。
1890年
丸の内取得と一大ビジネス街への夢
丸の内一帯を取得した1890年からスタートします。
当時、草が生い茂り原野と化した丸の内一帯は「三菱ヶ原」と呼ばれました。
しかし取得の背景には「日本が近代国家の道を歩むためには、
ニューヨークやロンドンのようなビジネスセンターをつくる必要がある」という彌之助の確信があったのです。
1890-1950年代
本格的な ビジネスセンターの幕開け
竣工したのは1894年のことです。その後、赤煉瓦造りの3階建てオフィスビルが
次々と建設され、ロンドンを彷彿とさせる街並みは、
「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれました。
ジョサイア・コンドルにより西洋風の外観を持つ煉瓦造の建築物として設計。煉瓦造の建物内に会社や銀行が入居した丸の内初のオフィスビル。
新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が立案され、その新線の中央停車場として、皇居前の原野に誕生。「東京駅」と命名された。
現在では珍しくないオフィスビルの商業施設も、日本においては丸ビルが先駆的に導入。昭和における戦前期での国内最大のビルとして誕生。
三菱一号館を皮切りに、次々に赤煉瓦造りで統一された洋風オフィス街ビルが建設され、その建ち並ぶ様は「一丁倫敦」と呼ばれた。また、丸ビル完成後のアメリカ式のビルが並んだ行幸通り一帯は「一丁紐育」と呼ばれ、ビジネスセンターの先駆けとなった。
近代郵便制度発足時に大阪郵便役所、西京郵便役所(京都)と共に設立された「四日市郵便役所」の新局舎として丸の内駅舎南口前に誕生。(竣工は1931年)
1960-1980年代
高度経済成長に伴う オフィスビルの大量供給・ 高容積化
1959年に策定された「丸ノ内総合改造計画」によって、大量供給・ 高容積化に向けた大規模オフィスビルへの建て替えが始まります。
ビジネス街にあふれる車を収容する施設が必要だったため、行幸通りを掘り起こして地下2階520台収容の「丸の内駐車場」が設けられた。
人や車の往来増加に伴い、丸の内仲通りの道幅を13mから21mへ拡幅。
1990-2010年代
丸の内を「世界で最もインタラクションが活発な街」へ
新しい都市機能の創造への取り組み「丸の内再構築」をスタートしました。
2002年竣工の「丸の内ビル」の完成を皮切りに多くのビルの建て替えを 実現。
その後、丸の内の活気と賑わいを大手町、有楽町へと拡大し、
ビ ジネス機能を深化させるとともに、街の機能の多様性を拡げました。
約80年の時を経て、古くなった丸ビルを、国内屈指のビジネスセンターとなった丸の内の再開発プロジェクトの第一弾として建て替え。
旧日本国有鉄道本社ビル跡地の大規模再開発プロジェクト。複数のオフィスビルと複合商業施設・ホテルを含む丸の内の新名所として誕生。
2009 年、丸の内再構築の一環である丸の内パークビルディングの開発にあわせ、三菱一号館を復元。2010 年に、カフェも併設された「三菱一号館美術館」として開業。
1914年に開業した国指定重要文化財である丸の内駅舎が創建当時の姿に復原された。
旧日本国有鉄道本社ビル跡地の大規模再開発プロジェクト。複数のオフィスビルと複合商業施設・ホテルを含む丸の内の新名所として誕生。
皇居の大手門前の立地に、商業および、約2,800㎡の緑豊かな「ホトリア広場」を併設したオフィスビルが誕生。上層部にはサービスアパートメントが開業し、職住隣接の新しいライフスタイルを提案。
水と緑の景観が広がる皇居外苑と商業・文化色の色濃い銀座・日比谷・有楽町と近接。東京商工会議所や東京會舘を低層部に構え、歴史を紡いできた高い「格式」に加えて、商業・文化の香り漂う「華やかさ」も有する大規模オフィスビル。
2020年代
丸の内再構築の更なる「 拡がり」と「深まり」を目指す
人・企業が集まり交わることで新たな「価値」を生み出す舞台を目指し ます。
また、有楽町エリア及び常盤橋エリアを重点更新エリアとし、 再開発やリノベー ションを推進します。
東京駅周辺で最大となる敷地面積3.1haに及ぶ大規模複合再開発「TOKYO TORCH」。その第一弾プロジェクトとして、「常盤橋タワー」が竣工。
2027年度、多彩な賑いと交流を創出するグローバルな拠点づくりを目指して、東京の新たなランドマークとなる高さ390mの超高層タワー「Torch Tower」が竣工予定。併せて、東京駅前の新たな顔となる約7,000㎡の大規模広場等を整備予定。