2024-09-24
株式会社IHI様/豊洲の街づくりに込めた思い
1853年に石川島造船所として創業し、事業変革を繰り返しながらも日本を代表する重工メーカーとして第一線を走り続けているIHI。2002年に東京第一工場を閉鎖して以降、同社が長年にわたり取り組んできた豊洲の再開発が大詰めを迎えている。社会基盤事業領域 都市開発SBU 事業運営グループの小平和毅グループ長、及び同事業企画推進グループの金子奈央氏に、豊洲エリアのまちづくりや、豊洲2・3丁目地区開発のラストピースとなる「(仮称)豊洲4-2街区開発計画(以下、豊洲4-2計画)」に込めた思いについてお話を伺った。
PROFILE
IHI株式会社
創業:1853年
従業員数:28,237名(2024年3月末現在)
本社所在地:東京都江東区豊洲三丁目1-1
豊洲IHIビル
事業内容:造船事業で培った技術をもとに、資源・エネルギー・環境、社会基盤、産業システム・汎用機械、航空・宇宙・
防衛の4分野へ事業を拡大し、各分野における最先端の技術・製品を提供。
造船所時代から2006年の「まちびらき」まで
2002年、まだ石川島播磨重工業であった時代に豊洲の東京第一工場を閉鎖。造船所時代の名残を知る小平氏に、かつての豊洲のイメージを伺った。
小平氏:私が入社した1999年頃は、海側に造船所があり、まだ造船や船の修理が盛んに行われていました。現在の豊洲IHIビルが建っている辺りには技術開発研究所があり、複数の製品の工場もありました。当社が再開発を進めたエリアの周辺も、昭和の時代は石炭埠頭や鉄鋼埠頭などと呼ばれ、石炭や鉄鋼品の積み下ろしや積み出しを行うなど工業地帯だったんです。
まず、1992年に豊洲センタービルが竣工しました。そこはもともと当社の寮や社宅があった場所で、工場機能に先駆けて早期に閉鎖されたことから、先行してオフィスビルを建設しました。その後、2006年に豊洲IHIビルが完成したことを「まちびらき」として豊洲のまちづくりが本格的にスタートしました。
金子氏:続いて芝浦工業大学ができ、豊洲公園が開園、その後に豊洲センタービルアネックスとららぽーと豊洲がほぼ同時期に完成するなど、まちづくりが一気に進みました。
小平氏:最初は、工場を一気に解体して街の基盤整備をしました。広大な更地の状態から建物が少しずつ建ち上がってきたこともあり、スケール感が狂うような感覚がありました。
「不易流行」の街・豊洲
豊洲2・3丁目地区のラストピースとなる「豊洲4-2計画」の完成を2025年に控え、これからの豊洲のまちづくりに対する思いとは。
小平氏:これからの豊洲には、「不易流行※」という言葉が当てはまると思っています。古いものを捨て、新しいものに作り変えていくスクラップアンドビルドというよりは、時代ごとに求められる機能やニーズに合わせて変化し続ける街、時代に適応していく街というイメージです。
※いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。
時代に即して変化し続けないと、ニーズにマッチしなくなり、まちづくりのベースとなる「人」が離れてしまいます。「人」を惹きつけることでアクティビティが生まれ、賑わいが生まれ、街自体のQOLを上げるようなムーブメントに様々な方々が協力してくれる……そうやって、豊洲という街が持続していくイメージを描いています。実際に、昨今では、アクティビティを生み出そう、新たな取組みをしようと思っている方々が、豊洲の街に集まってきていると感じています。
金子氏:豊洲4-2計画は我々の再開発としては、豊洲2・3丁目地区におけるラストピースとなることもあり、我々としても豊洲全体に資することができるよう、三菱地所と一緒に取り組んでいきたいです。「不易流行」という言葉の通り、「良きものを残しながら新しいものを取り入れていけるような豊洲になってほしい」という思いで、開発に携わっています。
小平氏:豊洲エリアで暮らす住民のお子さん世代が、大きくなったらまた豊洲で暮らしたいと思ってくれたら嬉しいですね。もちろん、時代に応じて豊洲に魅力を感じてくださる方々が新たに流入し、さらに街が変わっていくのも楽しみです。そんなまちづくりを実現する要因のひとつが、「職住遊学を揃えた複合都市」というビジョンです。
「職住遊学」を揃えた複合都市と
「まちづくりガイドライン」
歴史がありながら、常に人を惹きつける新しさもあり、世代に応じ人が入れ替わる「不易流行」の街。その実現のためには、「職住遊学」という4つの要素が欠かせないという。
小平氏:オフィス街であり、住宅地であり、商業施設や観光施設など外から遊びに来られる場所であり、学ぶ場所でもあります。住民のための施策が働いている方たちにも良い影響を与え、来街者をターゲットとして組み込んだ仕組みが地元の生活にもプラスに働いています。単一の用途だけよりも、良い影響を与えあうチャンスが多いですね。もちろん、住と職だけ、住と学だけでも心地よい街は実現できると思いますし、実際にそうやって発展しているエリアも全国に多数あります。しかし、豊洲においてはこの4つの要素の組み合わせにより、機会やチャンスも相乗して増えているのだと思います。
金子氏:豊洲エリアについて説明するときも、まず「職住遊学がある街なんです」とお伝えしています。それを加速するために今進めているのが、豊洲4-2計画へのインキュベーション施設や企業寮の整備です。働く人や暮らす人が当施設を起点として交わることで、コミュニティや新しいライフスタイルを生み出そうという取り組みです。
インキュベーション施設や企業寮に加え、テラス空間やペットフレンドリーな商業施設、対話が生まれやすいような外部空間やオフィスエントランスなどのハード面の整備を進めています。ソフト面でも、コミュニケーションを生み出しやすいような仕組みを整えていくつもりですが、異なる属性の方々をどうやって巻き込んでいくかは今後の課題ですね。ただ、職住遊学のすべての要素がさらに交わり、対話が進むことで良い化学反応が起こって、「職住遊学」がより進化した豊洲の姿が見えてくるのではないかと期待しています。
約20年にわたる開発には、IHIや三菱地所だけでなく、多数の事業者が協働してきた。
豊洲を統一された心地よい空間にするため、「まちづくりガイドライン」が定められている。
小平氏:再開発のエリアは、「地区計画」によって建物を建てる際の土地の区画割の面積が、最低3,000㎡以上という形で定められています。実際には10,000㎡以上で区画されており、ワンフロアが広くて自由度の高い、開放的なオフィスビルが集積したエリアになりました。道路などの外部空間でいえば、「まちづくりガイドライン」によって、公共の歩道と民間の敷地の境界に塀などを立てることを禁止したり、舗装材や舗装パターンを統一したりと、開放感を感じる工夫がなされています。さらに、「人が主役」のまちづくりのために、建物の1階部分をできるだけ店舗やショールーム、休憩スペースなどにすることもガイドラインに定められています。
そういった統一感のある街なので、個人的にはとても気持ちのいい、過ごしやすい街だと感じますね。人が賑わう滞留空間もありますし、緑豊かで水辺もあります。複合都市なので、ワーカーもいれば、高齢者の方々もいます。水に飛び込んでいるお子さんがいたり、犬と散歩している人がいたり、学生さんがいたりと、街中に活気があふれています。
金子氏:私は、「ないものがない」街だと感じています。近隣にはアミューズメント施設や大規模商業施設など、観光したり遊んだりする場所がある一方で、商店街や住宅、公園や学校もあります。都心から比較的近いため、豊洲で働いて、お酒を飲んだり遊んだりする際に豊洲以外の街へ出ることも容易です。さらに今後は、豊洲4-2計画に出来る新たなコミュニティや既存のコミュニティが、多くの人を巻き込みながら更に活性化することで、勤務時間以外も含めてより豊洲を楽しめるようにしていきたいと思っています。まだ豊洲の魅力に気づいていない方にこそ、新しい楽しみが見つかるような街になってほしいですね。
豊洲4-2計画が完成しても、豊洲のまちづくりは続く
豊洲4-2計画は、IHIが所有する土地における最後の大規模開発だが、これはもちろんゴールではない。
インキュベーション施設をはじめとする新たな交流・発信拠点を切り口に、豊洲のまちづくりは続いていく。
小平氏:ハード面の開発としては豊洲4-2計画で一段落しますが、これで終わりだとはもちろん考えていません。例えば、三菱地所と一緒に開発した豊洲フロント・豊洲フォレシアには、キッチンカーやイベントなどに使えるように屋外用の電気・水道設備を用意してありますが、まだ十分には活用できていません。ハード面のチューニングにも取り組んでいきながら、エリアに新たな賑わいを生む、ソフト面やサービス面などでの仕掛けを行っていき、価値がどんどん付加された街にしていければと思います。
金子氏:コミュニティの活性化という点でいえば、まちづくり協議会やスマートシティ推進協議会といった、企業間のコミュニティだけでなく、個人の方たちが立ち上げ、この街を盛り上げてきた団体もあります。そういったコミュニティ同士が交流できる場を作り、お互いに刺激しあうことでそれぞれの成長に繋がっていくようなネットワークができたら素敵だなと、将来の豊洲の姿を思い描いています。
小平氏:良いまちづくりをするためには、想いを共有・共感できる仲間が必要だと考えています。三菱地所は豊洲フロントの開発に参画する際に、豊洲の開発を専門とする組織(現「豊洲開発室」)を立ち上げられましたが、それを聞いた時に、豊洲のまちづくりへの熱い想いを強く感じました。その後のプロジェクト推進においても、我々の想いにもしっかりと向き合っていただき、一緒にまちづくりを進めるパートナーに三菱地所を選んで良かったと思わせてもらっています。これからも豊洲が、本質的な価値を守りつつ新しい変化も取り入れながら成長していける街であり続けられるよう、三菱地所を始めとした仲間とともに、様々な取組にチャレンジしていけたらと思っています。